孤憤

賢者の贈り物

1 Eve

 クリスマスイブにプレゼントを交換する習慣は、イエス・キリストが生まれる前兆を遥か東方の三人の宗教的司祭が知り、長い旅を経て、イエスの生誕地、ベツレヘムにたどり着き、そこに居た、乳飲み子を抱くマリアの前にひざまずき、その乳飲み子のために、黄金、乳香、没薬といった贈り物をした事が、始まりだと言われている。

 ちなみに三人の司祭は「東方の三賢者」と訳されることが多いが、単数形ではマグストいい、三人いるので「Magi(マギ)」というらしい。これを聞いたら、エヴァンゲリオン好きはぞくっとするだろう。

 よくクリスマスイヴに、プレゼントを渡すときに、「メリークリスマス」というべきか悩むところであるが、メリークリスマスを和訳すると、「良き生誕祭をお迎えください。」または、「救世主の誕生を楽しんで下さい。」という意味となる。

 年末の最後の出勤日の退社時には、「良いお年を」と言って別れる習慣は今でもあるのだろうか?とにかく、前日でも当日でも、その日(生誕日)が良き日であることを祈願する言葉なので、プレゼントを渡すタイミングで発することは、別に問題ではないし、その方が盛り上がるだろう。

 

 しかし、なぜプレゼントは、前日に渡すのだろうか?私は、ずっと三賢者がベツレヘムに到着したのは、イエスが生まれる直前で、イエスが生まれる前に贈り物を渡したと考えていたのだが、ネットで調べた限りでは、三賢者が到着した時、すでにイエスは生まれていた。ということは、彼らがイエスに出会った時、日付はすでに25日になっていたことになる。

 これには、当時の暦の考え方が関連しているらしい。当時は、日が沈むとその日は終わり、次の日が始まると考えられていた。従って、イエスが0時を過ぎて生まれたのかどうかわからないが、25日の夜明け前に生まれたわけで、前日の夜も25日、つまり生誕日に含まれるというわけである。三賢者は、星のひかりに誘われてイエスの家に辿り着いたと言われているので、生まれたのは夜だったのだろう。

 さらに、クリスマスイブの「Eve」について、クリスマスの“前日”とか、クリスマスの女性形で、“予備日”的な印象を連想する人も少なく無いと思うが、「Eve」が「evening」の短縮語と知れば、疑問は全て解明される。

 そう、昔の暦で言うと、一日は、日没から始まる。従ってクリスマスイヴとは、イエスの誕生日とされる25日が始まってから、深夜辺りとされるわけで、イエスが生まれたのは、おそらくこのeveningである可能性が最も高い。

 というわけで、前日の夜がイエスの生まれた時で、プレゼントを渡すタイミングということになる。

 さてそうなると、25日夜明け以降の方には何か意味があるのだろうか?

 25日は、暦の連続性も有って、生誕祭という行事が行われる。実は、クリスマスの「マス」は、「ミサ(礼拝)」が語源となっている。

 

2 Holy Night

 ところで今更ながらの疑問であるが、イエスが生まれたのがイヴであったとしても、現代のイヴはかなり違った趣の象徴となっている。

 そう、恋人たちの、いや、片思いでも恋をしている人たちの、さらに、恋に憧れる人たちにとっても、とても重要で、深い意義を持っている。もし、交際している男性が、「24日は予定があるから会えないが、25日なら一晩中フリーだ。」と言われても、多くの女性は興醒めだろう。

 好きな人がいる人や、恋に憧れている人は、この日に何か起きないか、強い期待を持ち、実際に勇気を振り絞って行動に出る者も少なくなくない。

 クリスマスイヴは、イエスの誕生日である。子供を作る日でも、それを誓う日でもない。

 何から派生して、恋人たちの夜になったのだろうか?

 いろいろ調べてみると、やはり、クリスマスイヴにプレゼントを渡す事が主なる要因となっているようである。考えてみれば、プレゼントを渡すという行為を取り上げれば、両親が寝静まった子供達の枕元に、こっそりプレゼントを置き、翌朝の反応を楽しみにするのも、なかなかの一大イベントである。

 しかし、それなら、誕生日や女性が作る「何とか記念日」だって同じではないだろうか?

 いや、クリスマスイヴは特別だ。

 クリスマスイヴは、別名Holy Night(聖夜)と呼ばれる。ここでいう「神聖な」を表すholyの語源は、whole(全体)と同語源で、「完全な」の意味から「穢れのない」を意味する。何だか、スケールのでかい話になってきたが、とにかく聖夜というのは、イエスの誕生だけを祝うものではないということである。

 イエスの誕生により始まるはずだった、平和で安全な世界、それを祈願しているのだ。

 いかんせん、世界は完全に平和でも安全でも自由ですらない。

 だから、せめて、身近なものの平穏と安泰を願うわけである。

 そしてその感情は、もっと洗練され、「最も愛しい人が、最も喜んでくれそうなプレゼントを贈ろう。」という形に結実したわけである。

 

3 Gift

 少し前、gifted(ギフテッド)という言葉が流行したが、giftと言うものは与えられるものにとっては無償で与えられるものと考えられている。しかし、大谷翔平にしても、羽生結弦にしても、神から与えられた才覚だけで、その高みに居るわけではないという事は、多くの人が認めるところであろう。あるいは、逆に神が彼らに与えたギフトとは、彼らに尋常ならざる試練と苦行を強いているのかもしれない。まあ、厳しい世界戦の直後に「今一番何がしたいですか?」と聞かれて「練習」と答えるような方々に同情する余地もないが。

 ところで、神が与えるものは別にして、Giftというものは、与えられる側にとっては無償であるが、当然与える方は有償である。その代償の尊さを見事に表現したのが、オー・ヘンリー作「賢者の贈り物」である。

 本稿作成に当たり、東方三博士の贈り物を調べていると、元になったそのエピソードより、オー・ヘンリーの「賢者の贈り物」の記事の方が多く出てきた。

 有名すぎて、紹介は無用だろうが、忘れている方のために、簡単にまとめると、

 「ある貧しい夫婦が居た。生活は苦しかったが、互いに自慢できるものを持っていた。夫は、妻の艶やかで美しいブロンズの髪を誇りに思っていた。妻は、夫が先代から引き継いだという立派な懐中時計を自分のもののように誇りに思っていた。

 クリスマスが近づき、夫は、妻の見事なブロンズを飾る髪飾りをプレゼントすることにした。妻は、夫の懐中時計を持ち歩けるように、それに見合う、金のチェーンをプレゼントすることにした。

 イヴの夜、夫は、すっかりベリーショートになってしまった妻の髪型に驚かされた。

 妻は、誇らしげにチェーンを見せて、この髪を売って、これを買ったの。あなたの懐中時計に付けさせて。と言う。

 夫は、半分笑いながら答える。この髪飾りを買うために売っちゃんたんだよ。」

 私は、彼の短編集が大好きで、そこから、初めてペーソス(哀愁)という言葉を知り、それを独特のユーモアと融合させる奇跡的感動を何度も味わったが、このエピソードはその中でも傑出していると考えている。

 

 人間には、他人にプレゼントを贈ることによって感じる喜びや幸福感を持つ傾向が有り、心理学ではこれを、「善意の行為による幸福感」と呼ぶ。しかし、これにはたいてい裏があり、若干の報いを求めるという条件がつく。素直に喜んでくれれば良いが、ぞんざいに扱われると、「蛙化現象」並みの失望が待っている。

 また幸福感を味わうがために、身の丈以上のプレゼントをして、身を破滅させる、ホスト通いの少女たちもいる。

 

 一度話しておきたいと思っていたのだが、特殊詐欺に騙される高齢者の多くは、詐欺の事実を伝えても、信じようとしないらしい。「自分は、孫を助けたんだ。」「息子の危機を救ったんだ。」と言い張り、終いには、「嘘を言っているのはおまわりさんだ。」という。

 どうせ、墓場までは持って行けないお金、いつか何かの役に立てよう。ずっとそう考えているのだろう。

 「すわ一大事」「ここだ!この時のためにこのお金を置いていたのだ。おいぼれでも、立派に人を助けられるのだ。」と。杖も忘れて銀行に向かう。

 ある銀行員がATMの前で、特殊詐欺からの指示で預金を降ろしているのを止めたそうだが、その高齢者はATMの前で、嬉々として、ほくそ笑んでいたらしい。

 

 本年は、バブル期以来のクリスマス商戦が起きて、景気に弾みがつきそうだが、身の丈を超えた出費にはくれぐれも気をつけて欲しい。また、受け取る側も、いかにサプライズであっても、相手の懐具合は心配してあげた方が良い。それは失礼なことではない。女性として「しっかり」しているということだ。

オーギュスト・ルノワール「団扇を持つ女」

 ルノワールの作品を観ているとつくづく思うのだが、やはり女性には花束が似合う。花には、思うに意志のようなものが有って、女性と並べられるとギアをあげて、見栄えを誇るように見える。特に自分が美しいと感じている女性と花束が並ぶと、その競演は余計にレベルを上げるように見える。ただし、さすがにそれは贈呈者の主観に過ぎないので、客観的美醜とは無縁であろうが。

 愛おしい人を思い、彼女を見てギアを上げる花束を選択し捧げることは、ブランド品を贈るよりもずっと崇高な行為だと思うのだが、きっと受け取る側の大半は、ブランド品を好むだろう。

 デートの最初に渡すと、どこへ行っても邪魔になるし、とにかく耳目を引く。持って帰る頃には萎れていて、花瓶に入れても長持ちしない。残念ながら、デートを予定している場合は避けた方が良さそうだ。

 郵送で送るという手も有るが、私は、彼女がそれを受け取った時の喜びの笑みと、花たちのギアアップとがハーモナイズする瞬間が見たいのだ。

 というわけで、駅のコインロッカーに、十分な養生をして保管しておいて、別れ際に渡すというのが良いのかな。

 彼女は、きっと帰りの電車でたくさんの視線にさらされるかもしれないが、イヴの夜だったら、その視線の多くは、温かく、慈しみに満ちたものであろうと信じる。